2023年3月5日日曜日

初期研修医から後期研修医 1 年目の先生に向けた病理診断の考え方

# プロローグ:高校数学で学んだこと

初期研修医から病理後期研修医の一年目向けのお話.高度なことはさておき高校数学(や人によっては倫理・現代社会)では証明をする際におそらく 3 つの考え方を習ったはずである.

  • 演繹法
  • 帰納法
  • 背理法

それぞれ平たく言うと,演繹法は直接証明するやり方,帰納法はこれまでみんなそうだったから次もそうだという論法(正確には n = 1 のとき成立し,かつ n = k のときに n = k+1 でも成立することを示す),背理法は選択肢が 2 つしかないときに片方を否定すれば結果的に残りの選択肢が正しいという論法である.

どどたん先生は大学入試からもう何年も経ってしまってだんだん忘れてしまっているが,若い先生はまだ比較的記憶に新しいはず.

# 病理診断の進め方のロジック

病理診断は数学ほど厳密ではないのだが,ある種の証明みたいなもので,状況証拠(肉眼所見や組織学的所見)から論理的に組み立てていって診断の証明を目指していく作業に他ならない(数学は世の中の役に立つ一例).

よって数学が苦手で証明の方法を考えるのすらきついというの人は診断学のウェイトの大きい病理診断はちょっときついかもしれない.とはいえ数学が苦手でも得意でもそれなりのところに到達するのでご安心を.

病理診断という行為自体が演繹法,帰納法,背理法を組み合わせて,なんとか特定の診断に辿り着こうとするプロセスである.こう考えると場当たり的にテキトーに診断しているように見える病理診断の過程が少し明るくなる?(ならない?)

# 具体的に考えてみよう

通常は演繹的な考え方をしていることが多い.つまり a, b, c, d, e の所見がある,だからこういう診断になる,と.この考え方はストレートなので理解しやすい.特に典型的な肉眼・組織像や臨床経過をたどる場合には余計なことを考えずに演繹的にアプローチしている.

ただ,典型的な組織像でない場合は,積み重ねた所見の先に想定される正解が存在しないことがある.そういう場合はどのように考えているのだろうか.

# 鑑別診断を挙げる

これは病理診断に限ったことではないのだが,鑑別診断を挙げている.臨床医学においても鑑別診断を常に考えることの重要性は日頃から掲げられている.想定される疾患群を網羅するような鑑別診断を挙げて,組織学的所見や免疫染色,臨床所見などを駆使して否定していく.

鑑別診断は経験的にどちらかというと否定していく作業が主体となりがちである(積極的に pick up ができればそもそも鑑別診断を挙げる必要性がなくなる).このような作業は背理法の考え方に似ている.特定の疾患 A であることを証明するために鑑別となる B, C, D, E を否定するという具合に.もっとも A であることを示唆する状況証拠を整えつつ(演繹的に考えつつ),B-E を否定しにかかる(背理法的考え方)という合せ技にちかいのだが.

# 通常の診断は演繹法+背理法

ちょっと乱暴なまとめ方だが,通常我々病理医は演繹法+背理法で診断にたどり着くことが多い.このように診断の手順を頭の中で整理することで診断に必要な要件は何か,手持ちの材料でどうやって証明すれば良いかが自ずと見えてくる.

この考え方が不十分だとたくさん所見は書いてはいるが,結局終着点が見つからずに診断が発散してしまう.実際,診断がうまくいっていない人を見ていると,この手順がごちゃごちゃになって必要な所見がうまく整理できていないというパターンがある(もちろんそれ以前に標本からの形態学的な理解が乏しい例が多い).

# 帰納法的なアプローチはいずこへ?

最後の帰納法は病理診断では何に相当するのか.ある種の経験値に近い.昔こういう診断をしたからこうかな,と言った具合である.厳密さを求める数学でいう帰納法とはだいぶ異なりるが,〇〇の場合は××が多いといった議論ができるのも経験があるからであって,帰納的ではある.

帰納的なアプローチの考え方は実は多くの先生が意識的あるいは無意識にやっているはずだが,なかなか教科書や文章として書かれることが少ない.前立腺癌の診断を例に取り考えてみる.

# 前立腺癌の定義は二相性の消失

前立腺癌の定義は二相性の消失というのは多くの方が知っていると思うが(知らなくても今覚えればそれで十分),個々の腺管を見ても二相性を消失したように見える非腫瘍性腺管が多くある.実際対物 20 倍で見ていると,二相性がなくこれは癌では??と悩むことが多い.

このように演繹的なアプローチでいくと,前立腺癌の場合は確実に壁にぶつかる.またよくクリスタロイドがある,腺上皮細胞の核に明瞭な核小体が見られるなどとも言われるが,すべての症例でそう見えるわけではないので難しい.

では,ということで基底細胞(✗筋上皮細胞)を否定すれば良いと考え免疫染色で二相性を否定すれば癌と言える(背理法的な考え方).実際,一部の施設では前立腺針生検で全例免疫染色をやっている.個人的にはさすがにやりすぎじゃないかと思うが.

# 前立腺癌は弱拡大で見るのがポイント

では HE 染色だけで診断する場合はどう考えているのか.最初どどたんせんせが前立腺生検を見始めた時は演繹的に二相性を真面目に探して変なところを癌として判定したり,明らかな癌を見落としたりしていた.

指導医の先生から「弱拡大で見ると良い」と言われ,そして「癌部分は騒々しく良性は穏やかだ」と教えてもらった.最初言われたときには何が言いたいのかわからなかったが,次第に一個一個の腺管を見て癌と判断しているわけではなさそうだなと理解した.

そしてグリーソンスコアのシェーマをなんとなく眺めていたときにようやく合点がいった.

# 癌の頻出パターンは決まっている

結局のところ前立腺癌として出現するパターンは決まっていて,多くの症例では小型の腺管が密集する形で増殖しており,種々の程度に拡張した腺管が癌である確率は(否定はしないが)相当低い.

もちろん最終的には二相性を確認することが決定打になるのだが, 前立腺癌の増殖様式は非常に特徴的だから低倍で見るのが良い.専門医を受験する前の先生たちにとっては当たり前の話と言われたらそうかもしれないが,当時のどどたん先生にとっては非常に斬新だった.

それからは癌の出現パターンを理解したら,指導医の先生と癌のマッピングでずれることがほぼなくなった.指導をするときには「ここにクリスタロイドが~」とか「核小体が明瞭で~」などと取ってつけたような文言を加えるが,実際に診断をする場合には,こういうパターンは癌のことが多いから癌だ,といった帰納的なアプローチに近い考え方をしている.

# 帰納的なアプローチがしやすい場面は多い

癌であってもなんであっても病理診断をする以上は再現性の高い診断基準があって,基本的にはそれに従っている.色々とあれこれ悩んだとしても報告書にはあたかもこの疾患を最初から考えていたような書き方をすることが多い(結論がきちんと決まっているのであれば余計なことを書くと混乱を招くため).

ただ,普段指導をしていてもなぜこれが良性なのか,なぜこれが悪性と判断するのかと形態的な根拠をうまく説明できないことがしばしばある.診断報告書に記載するキーワードだけ積み重ねていくと癌になるはずなのに実際は良性と診断している.

もちろん言語化をより明瞭にすれば解決できるかもしれないが,その手の説明の難しい病変の中には帰納的にアプローチをしているものも少なくない.いつもこの検体はこういう風に診断しているからこうなんだと言いたくなるようなもの.

実際の診断にあたっては,演繹法+背理法をベースにして,経験的なものである帰納的なアプローチを織り交ぜながら,様々な証明方法を組み合わせて病理診断を行っている.

# エピローグ:帰納的に経験値を積む

帰納的なアプローチは経験がないとなかなか難しいが,その経験値を上げるお勧めの方法としては、取扱い規約の写真を読むことが挙げられる.分量的に程よくまとまっているのと、どこの病理検査室にもあるので手に取りやすく,まず最初の一歩として勧めやすい.次は鑑別診断シリーズの写真を斜め読みするのもよい.

もちろん自験例として経験した症例にまさるものはないのだが,全体像を把握して悪いことは何一つない.



病理医としてのキャリアパス:中間点

# 次はいずこへ どどたんせんせはいわゆる around 40 で,この職場で留まるべきか次にどこかに行くべきかをそろそろ悩まなくてはいけない感じなっている.ある程度 public なこういうブログで書くべきかは悩ましい感じもするが,ごく普通の人の普通のキャリアパスについての具体...