2022年4月4日月曜日

病理診断をしている時に考えていること

# ちょっと面白そうな話題

病理診断をしている時に何を考えているのか,その思考回路を明らかにするのは意外と難しいのと,恐らくどこかで似たような話題について触れた気もする.しかし大切なことではあるので少し書き連ねてみよう.

https://twitter.com/ddtns/status/1510104439318716425

この投稿の内容をまとめ直して brush up させたものである.

# 病理診断も臨床診断も基本的なところは変わらない

診断学という本を参照してもらえると分かるが,基本的には検査前確率(≒有病率)があって,そこに種々の検査を行っていく過程でその疾患に対して陽性(=診断確定)か陰性(診断の除外)を行っていく.その検査の感度・特異度により陽性的中率,陰性的中率が計算され,当該検査を行うことで検査後確率がどの様に変化するかを見ていくことになる.

病理診断もおおむね同じで,いくつかの鑑別診断を考えたらあとはそれぞれの疾患に対して肯定あるいは否定するような所見を丁寧に集めていき最終的に病理学的診断を決定する.診断によっては(例えば神経内分泌腫瘍のグレーディング)かなり厳密に決まっているものもあれば,腺癌や扁平上皮癌等厳密には決まっていないものもある.

異なることとしては,臨床推論のように身体診察や検査の感度特異度がまだ完全には整備されていないため,個々人の感覚や経験に依存しているところがある(これも時代が進めば整備されてくるのでは?と思っている).

# 病理学的所見と免疫染色や FISH, PCR が病理で言う検査に相当する

臨床診断(臨床推論)を進めていく上で病歴聴取,診察や検査を適宜行うわけだが,病歴聴取や診察に相当するものがだいたい肉眼所見だったり組織学的所見だったりする.多くはそれで診断がつき,さらに追加で「検査」を行いたいときには,我々でいう特殊染色や免疫染色,FISH, PCR+NGS? などが該当する.検査まで行くと全般的に特異性が高くなるが,範囲が狭まるので陰性だった時に検査後確率の変動が乏しい.

言い換えると,肉眼所見や HE 染色での観察が不十分だと免疫染色を下手に出しても陰性ばかり(あるいは retained)で結局診断には結びつかないよ,ということである.耳が痛い読者も少なからずいるのでは?

# 病理学的所見は比較的ゆるく考えている

○藤誠先生とか臨床医からたまに言われることとして,

病理診断って気分で診断しているんでしょ?

というのがある. これは最初の項目で述べたように所見自体の感度・特異度,疾患定義が若干不明瞭であることに起因する.どこまでの異型が腺腫でどこからの異型が腺癌とするのかについても大腸腫瘍でよく議論になる.正直なところ,最近では一致率の低さから議論にすらならないが.最近の診断基準ではこのような気分や知識,経験の揺れに起因する診断の不一致を防ぐような診断基準が採用されてきており,実際は問題なくなってきている.例えば子宮頸部の carcinoma in situ と severe dysplasia は昔から人によって診断が異なっていたが,今では CIN3 として区別しなくてもよくなっている.

また同じ様に見えるものでも文脈によって解釈が異なることもある.例えば分厚い膠原線維束は文脈によっては ropey collagen と判断するが,これが真皮内にあればケロイド線維と解釈する.見えているものは膠原線維でその部分のみは同じものなのだが,文脈によって解釈が変わりうる.

# 文脈とは何か?

例えば桃太郎のお話で,桃太郎がスマホを取り出して鬼を倒したところの写真を撮ってみたりおじいさんに報告したり,お宝をメルカリで売ったりしていたらおかしいな?と疑問に思うはずである.桃太郎がいつの時代の話か書いていないが,話の中に鬼がいたり川で洗濯をしたりすることから現代ではないことが容易に推測されスマホやメルカリがあるのは不自然だということになる.

一方同じお話でも,名探偵コナンやこちら葛飾区亀有公園前派出所などは登場人物や彼ら彼女らの行動,風景を変化させることで文脈を変化(進化)させており,携帯電話やパソコンが登場しても違和感がなくなっている.つまり桃太郎のお話も鬼 → 悪徳業者に変え,川で洗濯 → ドラム式洗濯機で洗濯とするとスマホやメルカリが登場する文脈が出来上がる.まぁではどうやって川を流れてくる桃と出会うのかという新しい問題が発生するが.

それはさておき,病理診断のたとえで考えてみる.皮下に付属腺との関係性の乏しい腺癌NOS としか言えないような病変が二か所出てきたとする.そんな稀な病変が二か所も同時に出てくるのはおかしいと気づく.それらを説明できる文脈を探さざるをえないわけで,原発巣二箇所よりも転移の可能性が考慮され,頻度や既往歴を勘案し,乳癌、肺癌、膵癌、前立腺癌などの存在はどうか?と疑うわけである.

# 文脈を読む力

いわゆる病理診断の能力をどう定義づけるかは難しいが,その漠然としたものを認めて話を進めると,何年かやればある程度は標本を読み解く力はついてくる.所見は一応取れているんだけど,診断がどこか変,という先生がたまにいて,そういう先生はその文脈を把握する力というか臨床知識が少ないことが多い.所見は大体合っているのに,その所見を統合した解釈で間違えるという残念な結果になる.

どどたん先生は病理医を志望している初期研修医が病理を回ることに対して比較的否定的である.病理診断の多くはこの分文脈に依存していると考えており,その文脈を身につけらるのは臨床医としての経験が非常に効率的だからである.もちろん単なる経験だけではなく臨床推論の過程自体も病理診断のロジックに類似性がある.病理医の記載する報告書をもとに臨床医が診断や治療を決定するように基本的に向かっている方向性は同じである.そういう意味では初期研修で全てを身につける必要はなくて臨床推論にどっぷり浸かるだけでも文脈を読む力は十分つけられる.

# よくある普通の疾患を丁寧に見ることが大切

文脈というのは文の前後の関係性を指す言葉であり,文脈が適切であれば文章を読んでいても引っかからない.これを病理診断に置き換えると,臨床的に胃癌を疑って生検された検体の病理診断が腺癌だったといった具合になる.このように,日々の診断ではごくごくよくある症例のよくある診断がほとんどで,珍しいものは少ないし珍しくてもそのほとんどは教科書に書いてある.

こういうありふれた普通の疾患や経過のどこが普通なのかを常に疑いながら診断をすることが大切である.なぜか.稀な病変や間違えやすい(間違えた)病変というのは,経験的に振り返ると,どこかで普通と異なる所見や臨床経過を呈していたことが多く,その違いはしばしば軽微である.些細な違いを見出すには普段から普通がどういうものかをある程度明瞭に認識する必要がある.

〇〇さんが髪の毛を 1 cm 切ったことを気づくためには普段から〇〇さんの髪の長さがどれくらいかを認識しておく必要があるのと同じことである.

# また稀なものに飛びつきすぎないこと

文脈を理解できていない先生がよくやる間違いとしては,世界に数例しかない稀な疾患をバンバン診断してしまうことがある.これも本質的には稀なものを見逃すのと同じことであり,そんなものが出てくる文脈ではないということが理解できていれば診断自体に慎重になる.よくある疾患のちょっと変わったバリエーションの可能性はどうか.

もし稀なものだと診断をしようとすると,その文脈を突き破るくらい高い特異性のある所見が必要になる.

# 結局は病理診断は操作的

結局のところ,病理診断は誰がどう書いてもある程度の範疇に収まるようにルールが設計されており,機械的,操作的とも言える.

病理医としてのキャリアパス:中間点

# 次はいずこへ どどたんせんせはいわゆる around 40 で,この職場で留まるべきか次にどこかに行くべきかをそろそろ悩まなくてはいけない感じなっている.ある程度 public なこういうブログで書くべきかは悩ましい感じもするが,ごく普通の人の普通のキャリアパスについての具体...