2022年7月24日日曜日

情報をいかに取得するか

 # 病理診断でもなんでも結局は同じこと

このアカウントではというよりも自分自身があまり HPV ワクチンや新型コロナウイルス感染症のワクチンに興味がない.興味がないというよりも,いわゆる陰謀論のような議論に参画するほどの暇はないしワクチンを推進するほどの運動をしているわけでもない.職場でもそうだが,そういう議論とは距離を置いている.というわけで端的に結論を言うと

結局ワクチンは打ったほうが良さそう

ということで,自分はコロナのワクチンは 3 回打っているし,とりあえずマスクもしている.

# 適切な情報を取得するということ

Twitter を眺めていると,よく「コロナに関する情報を収集するために twitter をはじめました」という発言を見かけるが,自分からすると twitter は新型コロナウイルス感染症にまつわる情報収集としては適切とは言い難い.

一応自分も軽く skimming をしているが,基本的には Yahoo! ニュースなどのニュースで発表される情報と自分の病院の感染症診療科の先生たちの言っていることが情報源になっている.なぜか.Twitter で流れてくる情報は玉石混交していて情報の信頼度という意味では必ずしも高くはない.自分で吟味して取捨選択をする必要があり,そのコストを考えるとあまりコスパが良いとは言えない.

よくニュースサイトの情報に嘘が含まれているという陰謀論を語る人がいるが,それは情報に対する態度として適切ではない.そもそも一般的に流れている情報には少ならからず嘘が含まれていると考えたほうが良い.100% 正しい情報もなければ 100% 間違った情報もなく,0-100% の間を動いている.嘘ではなくても後々間違っていることが分かることもよくある.

# 効率的な情報取得

自分は一応医者ではあるけれども,ワクチンの詳細な仕組みやこの新型コロナウイルス感染症の細かいことはわからない.勉強すればある程度は理解できるとは思っているが,そのためにはウイルス学から始まる基本的な教科書を読み込んで,さらにその上で mRNA ワクチンに関する歴史的経緯や他のワクチンの適応事例などを勉強し,さらにさらに感染症疫学についても勉強をする必要がある.

「私はコロナについて理解している」と主張をするにはそれくらいの勉強が最低でも必要.もともと公衆衛生や感染症を専門にしてきた人なら比較的親しいのかもしれないが,自分は病理学,病理診断で感染症病理は比較的遠い領域にいるので正直難しい.

そういう状況だとどうやって情報を取得すべきかというと,結局ある程度は無批判に誰かの主張を受け入れざるを得ない.否定するための知識や経験を持っていないのだから.はっきりいうととある主張に対して適不適かの取捨選択などすらできない.そういう状況下では「この人なら大丈夫そうだ」という人を数人立てて,その人達の主張していることの足し算あるいは平均値を出してそれを無批判に受け入れることにする.

大丈夫そうだと選択する根拠というのは難しくて,国の機関はとりあえず大丈夫そうだと判断している.というか国を信用できない状況では自身の安全も含めて危ない状況と言えるわけで,そうなったら自分は多分日本を脱出しているだろう.アメリカや中国を信じるのかと言われると微妙で,信じるというよりも国の状況がだいぶ違うので彼らの出したメッセージがそのまま日本にいる自分が受け取ってよいかは悩ましい.

# 得られた情報と得られなかった情報

得られた情報について議論をすることはもちろん,得られなかった情報についても思いを馳せる必要がある.本来は出てもいい情報が出ていないのはなぜか.そういうところから現在の状況を推定し,自分が取るべき行動を考えていく.

コロナに関しては,個人レベルでできることは残念ながら限られていて,手洗い,マスクをする,ソーシャルディスタンスを保つ,そしてワクチンとその程度.余談だがうがいについては殆ど言わていないな.むかしインフルエンザの予防でもっとも費用対効果が高いのは手洗いだと学んでそこから手洗いはなるべくするように心がけていたが,今回のコロナではうがいはだいぶ順位が下がっている.

# 結局大多数に従うのが得策

色々思案をしていても,結局大多数の人に従うのが一番であることが多い.株で一儲けみたいなときには

2022年7月23日土曜日

国際協力とは~ その 6

 # 大体言いたいことは言ったような気がする

約 3 年ちょっとの間でやってきたことのあら方を言い終えたような気がする.他にも色々あったとは思うがだんだん忘れつつあるので,やはり記録は必要かな.

ちなみに免疫染色も最初は ER, PgR, HER2 くらいだったのが今ではだいぶメニューが増えて日本の一般病院クラスの抗体は揃っている.SMA が上皮に染まったのを見たときにはえーって言ってしまったが.

次には締めとしてカンボジアの病理医の育成における自分が感じる問題点を列挙して終わることにする.

# 病理診断の勉強はほぼフリーアクセス

現在,病理診断に関する知識のアプローチは世界中どこにいてもほぼ簡単にできる.誰であってもだ.大きな声では言えないが,sci-hub もあるし,WHO bluebook も copy が出回っているのでそういうのにアクセスすればほぼ無料で最新の知識が手に入る.

そういう時代なので,細かい知識を伝授するような講義はあまり意味をなさない.もっとも知識を得るためには前提知識が必要なので,そういう論文やテキスト等の文献を読むために必要な知識の伝授は必要.

知識面だけでは病理診断を行うには不十分で,経験と統合したものの考え方が必要.特に後者は哲学的要素が入ってくるかもしれない.どのように診断を進めていくか,どのように臨床病理相関をつけるか.

齟齬が生じた時にどこまで診断に言及をすべきか,最終的な患者の利益を考えた時にどういう検索をすべきか.我々がやっている病理診断は単に組織像を記載し組織型を確定するのではなく,臨床病理相関を俯瞰した上で,どのような病理学的情報を提供できるかを考えること.だから病理診断は検査ではなくれっきとした臨床医学であり,診療科の一つとして数えられている.

# 踏ん張りが足りない

自分がカンボジアの先生たちと話をして感じるのはこの臨床病理相関を俯瞰するという考え方が足りない.それ以外は正直言うと組織診断もだいたい合っているし,ぱっと見はよく出来ている.病理診断をより rigid なものにするためには「臨床病理相関を俯瞰して診断をする」という態度が必要で,こういうのは教科書を読んでもなかなか身につかないし,経験ある病理医がマンツーマンで丁寧に指導をする必要がある.

臨床病理相関を俯瞰するのは結構大変.文献を読み込み,カルテを参照したり,臨床医と話をしたり,自分で放射線画像を読み込んだりする必要がある.たかだか一例を診断するためにそんなに時間をかけるの?と思われるかもしれないが,必要なら三時間でも四時間でもかける(その代わりに簡単な症例は秒で終わらせる,メリハリをすごくつけている).

そういう泥臭い作業を自分は踏ん張りと呼んでいる.そういう踏ん張りができるようになったとき,踏ん張りどころがわかった時に一人前と呼び,一流と認識する.そういう踏ん張りが出来るような病理医を一人でも多く育てることが今後の課題と考えている.それはカンボジアに限らず自分の病院でもそうなんだけどね.

2022年7月22日金曜日

国際協力とは~ その 5

 # いわゆる口コミ

最初は全ての症例の診断書に目を通して,怪しいのがあったら写真を撮って送ってもらうようにしていたが,流石に自分も忙しく全てに目を通すというのは難しく,途中からコンサルテーション症例のみにした.片手間でやるのは難しい.

そこから数年の間に口コミ?で日系の病院に紹介をしてもらえたようで,顧客が増えてきた.そして日系以外の外資系の病院からの検体依頼も来るようになってきた.当該の検査センターでは今色々な問題を抱えているようだが,少なくとも顧客から依頼があるという状況は希望があるわけで,ポジティブに捉えるようにしている.

最近のコンサルテーション症例自体が少なくなってきており,その症例もほとんど診断の確認程度で,致命的なエラーはほとんどない.正直言うとゼロとは言わないが

# 更に本格的に

ちょうど検査センターを始めて 1 年くらいでコロナに突入しており,検体が減ったりいくつかの検査センターは閉めたりしており,受難になっているが,2022 年現在では自分が顧問をしている検査センターはとりあえず生き延びている状況である.

経営についてはとりあえず彼らに任せて自分が興味があるのはカンボジアの国内で local の病理診断はきちんとしている,まともであるという印象を強烈に植え付けること,そして引いてはカンボジアの医療水準自体を引き上げること

病理診断が的確であることは,腫瘍非腫瘍いずれにせよ根本的に重要なことで,自分としては的確な病理診断は臨床のレベルを引き上げると信じている

カンボジアでの病理診断の水準向上は臨床細胞学会が主体で行っており,彼らがやっていることはどちらかというと明るいところでの活動で,自分がやっているのはスポットの当たらない暗いところでの活動に近い.謝礼は結局もらっていない(もらっても良いのだが,機器の減価償却や新規機器の購入,ランニングコストもありとりあえず件数だけカウントして保留にしている)が,営利企業のアドバイザーでボランティアとは言い難いのであまり表彰されることはないだろう.まぁそれも一興.

去年は second generation に対してオンラインで切り出し方法についての網羅的なレクチャーをやったりと,お金にならない仕事もたくさんしている.もっとも検査センターでのまあまあいいお金になる仕事もたくさんやっているが.

コロナ禍でカンボジアには行けていなかったが,目的を達成するためにはやはり実際に行って指導をする必要があると痛感しており,そろそろ行く準備を考えているところ.

2022年7月21日木曜日

国際協力とは~ その 4

 # カンボジアの病理診断の信用度の低さ

ちょうど first generation の先生が卒業をするというタイミングで開業をする!?というのでそのお手伝いをすることにした.その当時は早くね??と思ったのだが,後々他の人から話を聞いたところからするとまぁさもありなんというところだったみたいだ.

うさたん (@88usagi) からの紹介で,とある日系の病院に病理検体を出してくれないかとお願いするために挨拶に行った.そこの当時の院長から放たれた一言は強烈だった.「カンボジアの病理診断は信用できない」とのこと.脳腫瘍の検体を出した時に「solitary fibrous tumor or meningioma」という診断が帰ってきたとのことで,確かに臨床的なマネジメントの方向性はだいぶ違う.そういう critical であるべきところの爪が甘いというのが気に食わなかったようだ.

他にも協力してカンボジアの脳外科医を育てたのだが,彼は専門医を取ってからその専門医を売りにして頚椎カラーを販売する会社を作って,手術をすることを辞めてしまったそうだ.そうやって手塩にかけて育てても目の前の実利に走って使命感がないということに対して半ば諦めのようなものを感じていたように見えた.それでもその当時の院長は一から病院を立ち上げたやり手であり,相当な苦労をしているはずである.彼なりの悩みが出たんだろうなと思っている.

その当時の院長に対して自分は否定的な印象を持っていたが,確かに「使命感がない」というのはその通りかもしれないなと感じたのは事実.実際数少ない first generation の卒業生の中でも病理診断に従事していない人がいるし,カンボジアの病理医でも inactive な人がいる.自分が頑張らねばという意志が若干希薄のように感じる.ここらへんは国民気質でもあるのでそれを変えようとするのはあまり正しいとは言えず,その,彼らの文脈の中でどのように改善できるかを考えるのが得策なのだろう.

# 転機が訪れる

年末くらいにその病院から生検検体を出したいという申し出があった.その半年前くらいに「カンボジアの病理診断は信用できない」と言われた経緯があるので何様??と思っていたが,どうやらもともと生検診断を契約していた検査センターの病理診断でトラブルが続いたようで,そこから変えたいという話のようだった.

そこから生検の診断がコンスタントに出てくるようになり,比較的経営状態が改善してきた.難しい症例や手術検体は日本に送るようなのでそこまで大きな問題はなく経過していった.

2022年7月20日水曜日

国際協力とは~ その 3

 # 日本とカンボジアの違い

非常に月次な感想だが,日本とカンボジアで感じた病理診断の違いについて言及してみる.違いをマークアップ出来るくらいなので基本的には同じである.

ミクロトームが回転式が主流.滑走式が多いのは実は日本だけでむしろ自分たちが特異だということも知った

特殊染色が少ない.これも実は特殊染色を好んで多くするのは日本で,他の国ではそこまで多くやっていないことも知った.

細胞診のスクリーニングを病理医が行っている.これは本当になんとかして欲しい.診断の効率がぜんぜん違う.細胞検査士制度の確立が急務ということになるがしばらくは難しいだろうな.

試薬の代理店がないので,安定供給が難しいというのもある.臨床細胞学会の記事にも書いてあったが,自分も武藤化学他の試薬会社に問い合わせてみたのだが,タイや台湾に代理店があるが,そこから輸出するには色々な手続きが必要で実質的には難しいという返答だった.

じゃどこから調達するかというと,簡単なのが隣接しているタイからで,もう一つは中国からだそう.中国は何でも買えるしな...

病理診断の違いについてはそこまで意識をするほどの違いはないかな.もっとも顧問をしている検査センターでは指導している関係上,自分のカラーを強く打ち出しているのでどうしても自分の診断スタイルを押し付けているきらいがある.

# カンボジアの病理検体が国外へ

どこの国でも程度の差はあれあるのだが,カンボジアには外資系の病院がいくつかあって,それらは本国の水準にあった比較的高い医療水準であることが多い.日本からは Sunrise Japan Hospital があり,北原病院グループが出資し,経済産業省のバックアップがあると聞いている(病院を受診すれば分かるが,椅子からちょっとした小物まで日本の病院をまるまる輸出している感じ).他にもシンガポールやタイなどが病院を作っている.

もちろん NGO/NPO も病院を作っており,シェムリアップでは Angkor Hospital for Children が歴史もあって有名で,プノンペン近郊では JapanHeart が病院を作っている.

これらの病院の多くは単体では病理部門を自前で作るほどの規模はなく病理検体は本国あるいは協力体制を敷いている国の病院に送られているようである.Sunrise Japan Hospital は日本の秋田細胞病理へ,JapanHeart は九州大学へ送っている(機密情報のようにも思ったが,それぞれネット上で当該事実は掲載されているのでこの際良しとしよう).ちなみに日本人が founder としている Angkor Hospital for Children はアメリカに検体を送っているそうだ.特に小児病理は特殊性が高いので致し方ないところもある.

又聞きだがカンボジアの役人も本当は検体を国外に持ち出すことを良くは思っていないが,カンボジアの病理診断の水準が低いのでしょうがないと言っているようだ.

# カンボジアの患者も国外へ

カンボジアにも富裕層なるものは当然いて,彼らは医療を求めて国外へ行く.タイやシンガポールがその代表格らしい.カンボジアに行く飛行機でバンコクを経由にした時に,たまたま隣にいた老婦人と息子と話す機会があって,慢性疾患の定期受診のためにタイに行った帰りだという話を聞いた.

カンボジアの医療水準は低いから,とのこと.歴史的経緯があるのは当然のことで,それについて話をしだすと収集がつかなくなるが,病理診断という点に絞って一言話をすると,カンボジアで最初の病理医は Saorin Tep Mam という女性で,内戦で亡くなっている.

ちょうどそういう話を聞いたときは自分も専門医を取ってから数年経ったくらいで,何でも出来るんじゃないかという万能感を持っていたときでもあって,自分の得意領域からすると,それじゃあ一肌脱いてカンボジアの病理診断を劇的に向上してやろうじゃないかという気持ちを新たにした瞬間でもあった.

2022年7月19日火曜日

国際協力とは~ その 2

 # 当時のカンボジアの病理診断体制

話題が豊富でどこから話をしたら良いか難しいが,2018 年頃の話だと病理医は 10 人くらいだったと記憶している(詳細は臨床細胞学会の専門医部会の記事を参照のこと).その中でいわゆる first generation と呼ばれる病理専門医の研修医が 5 人いた(多分資料を参照すれば分かるがまぁいい).

基本的なトレーニングはレクチャーが中心とのことで,日本以外だとヨーロッパ,特にドイツからの支援が多いみたい.旧宗主国はフランスのはずで支援はあるにはあるようなのだ(免疫染色の試薬や機械など)が,ドイツは iPath Telepathology network というシステムを構築しており,カンボジア(+それ以外の途上国?)に対して,組織像をアップロードをするとドイツの専門医がコメントをする体制を提供している.

日本の学会に掲載される記事は主に日本がどういうことをしたかということに焦点を当てて記事を書くが,実際には他の国も支援をしており,全て日本がやっているわけではない.

一般的にカンボジアで医師になるには確か 6 年間の医学部のトレーニングを受け,病理専門医の場合はさらに 5 年間のトレーニングが必要で,その 11 年間は学生という扱いで,授業料を支払うようだ.そりゃ金持ちじゃない限り無理ではある.ちなみにカンボジアの医学部で 1 回だけオンラインで病理学の授業を行ったことがある.まぁそれはいいけど.

病理専門医のコースも毎年開講というわけではなく,2018 年に first generation が卒業をして 2019 年から second generation が入学して来るという,感じで現在第 2 世代がトレーニング中である.時間はかかるだろうが,おそらく数年後には一気に増えていることだろう.

カンボジアの病理医はほぼ全員(全員?)が首都のプノンペンにいるようだ.プノンペン以外には病理医はいないので,そこで病理検体が発生した場合はどうするのか?一つは病理検査を行わない,もう一つは首都のプノンペンにある検査センターに検体を送る.

そう,カンボジアにも検査センターがある.ちょうど日本の病理医が病院で病理診断をしながら,検査センターでアルバイトをするような構図がある.

# カンボジアの医師の働き方

カンボジアの医師の給料は安い.大体月 150 - 200 ドル程度.カンボジアに行ってみると分かるが,カフェに入るとコーヒーが(サイズにもよるが) 3-4 ドルくらいするので,当然それだけでは生活できない.よって多くの医師は自分でクリニックを持つ.午前中は病院で働いて,午後は自分のクリニックで診療をするというダブルワークをするようだ.

病理の場合はそれが検査センターになる.正確な統計はないが,カンボジアには古くからいる教授が自前で検査センターを持っており,月 1000 件程度の結構大量の検体を診断しているそうだ.プノンペンにはそのような検査センターが複数ある.

ちなみに組織診 1 件あたり 30-50 USD 程度で,免疫染色は 1 枚あたり 50 USD 程度.相場を知らない人が多いとは思うが,日本のほうが安いと思う(日本の検査センターの場合は利益率の高い血液検査と抱き合わせて受託するケースも多く,病理検査単価は結構変わるので単純な比較が難しい).2022 年 7 月現在はさらに円安なので圧倒的に日本の方が安い.日本にブロックを送って日本で免疫染色を受託すると儲けられるのでは?という気もする.

# 自分が関わっていること

基本的には first generation の先生のうちの一人がやっている検査センターの顧問として診断のアドバイスをしている.最初は怪しい診断でのコンサルテーションが多かったが,現在ではほぼ外すことはなくなってきた.本質をついたかなり鋭い診断をしてくることもあり,数年間自分が費やした時間は無駄ではなかったのかな?と感慨深く思っているところではある.

文章が長くなってきたのでそろそろここで次の項にする.

2022年7月18日月曜日

国際協力とは~ その 1

 # 国際協力は簡単ではない

かなり具体的になるから書くかどうか迷ったけど,多分今書かないとおそらく記憶の何処かに埋もれてしまうのかなとも思ったのでとりあえず書いてみることにする.まぁ悪いことをしているわけではないのでよいでしょう.

ここまで約 3 年間くらい個人的な規模でカンボジアの病理診断の支援をしており,総括的なことを書いてみよう.

# カンボジアの病理診断支援

もともとは産婦人科学会?がカンボジアの子宮頸癌のスクリーニング支援を行う一貫で,重要な検査の一つである細胞診に問題があることが判明した.

そもそも細胞診がきちんと診断が出来ていないとスクリーニング自体が意味をなさないということで,臨床細胞学会が参画してカンボジアの病理診断の技術発展の支援をしていると聞いている(伝聞による記載なのでたぶん若干不正確であることに注意).

その中で臨床細胞学会から日本の病理医が派遣され,またカンボジアから病理医や臨床検査技師を招聘して細胞診断を中心としたトレーニングをして,また現在では zoom などでオンラインレクチャーをしながら教育をしているということ.

ちなみに自分は臨床細胞学会の会員(信者?)で専門医・指導医を持っているし,集会には熱心に参加しているが,特に臨床細胞学会から派遣されてはいない.

カンボジアの病理診断は当時はたしかにひどかったような気もするが,少なくとも 2022 年現在では自分の感覚ではそこまで悪くはない.HE 染色が主体だが,形態診断レベルでは日本の一般病院以上の水準は確保されていると信じている.

# カンボジアから日本へ研修

確か 2018 年頃だったと思うが,カンボジアの病理医と臨床検査技師が日本に研修に来た.その時に当時在籍していた病院が受け入れ病院の一つとなっており,そこで仲良くなり,じゃあと一肌脱いて色々と相談に乗るようになった.それがはじまり.

2022年7月15日金曜日

臨床検査技師の責任とは

 # 「私たちは病理医ではないので責任をとれません!なので先生たちがやってください」

たまに自分たちが聞くフレーズ.これは Power word でこの言葉が発動されると,すべての業務が医師に載せられてしまい,非常にめんどくさいことになる.

臨床医だったときも似たような経験があって,看護師等の職種のスタッフが言っていた様な気がする.

# 責任ってなんだ?

責任を取るって,何をするのか.もちろん金銭的な補償をすることも責任かもしれないけど,でもお金を払えば良いというものでもない.

これまでの様々な事例を見るに,結局責任を取るっていっても究極的には「ごめんなさい」と言うよりほかない.ごめんなさいといって許してもらえるかどうか,許してもらえるようにするのが責任と言える.もちろん金銭的な補償はあることはあるがあくまで付属的である.

でも誰でも責任を取れるというわけではない.そこらへんを歩いているおじさんに謝られたって困るはず.ごめんなさいという人がそれなりの力量があってそれなりのポジションである時にそのごめんなさいが意味を成す.ただ謝ればいいっていうものではない.「この人が謝るのならしょうがないか」と思えるかどうか.

そう考えると,通常は所属長が責任を取ることになる.例え現場の人がやらかしてもごめんなさいをするのは所属長である.医者だって同じことで,記者会見でごめんなさいをしているのは診療部長か院長クラスであって,当事者が出てくることはまずない.

そういう意味では我々ひらの病理医は責任を取っていない.

# 首にならないからこそ言える言葉

民間病院の市中病院では医師以外のメディカルスタッフは「ハイ分かりました」以外の返事はさせてもらえなかった.論理的に不可能であることを主張をすることはあっても,物理的に可能であれば原則的にやるのが仕事.それが嫌な人はいつの間にか辞めていっていた.

それが大学病院に来ると,嫌だと言い張って仕事をする人がチラホラ出てくる.最初そういう返答をされた時に意味がわからずめまいがしたが,今ではだいぶなれた.大企業になるとそう簡単にクビには出来ないことがわかっているからこそ言える言葉である.

# 臨床検査技師の仕事の責任は誰が取る?

臨床検査技師プロパーの仕事である,標本作製,例えば包埋や薄切で仕事をし損じた時に誰が責任を取るのであろうか?

自分の経験でも,薄く切りすぎてブロックに穴が空いてしまったとか,ブロックを紛失した!というのもあった.これは診断に影響を与える可能性が高いので,最終的な受益者である患者さんや臨床の先生に対してごめんなさいをすべきだが,結局自分で飲み込んだ(他のブロックを作り直した)か,自分から臨床医に説明しごめんなさいをした.

今から考えると,これらは完全に彼らの業務の範疇であるから彼らが責任を持って臨床医に説明をすればよいのでは?とも考えてみた.もし病理医に対して説明をすることが責任と考えるのであれば,,,,となって最初のサブタイトルに落ち着く.

要するに責任を取ること?から逃げてしまうとなんの仕事もできなくなってしまうし,結局のところ責任を取るのは所属長であったりする.そう考えると,仕事をやりたくない言い訳にしか感じない,というお話.

2022年7月13日水曜日

続けること

 # 10 年同じ領域をやり続けること

昔お世話になった先生に言われたこと.10 年同じことをやり続けていればその領域で認知される様になる.まぁ何年やっても何も進歩しているような感じはしないんだけどなぁと思っていたが,確かに今年で専門領域を始めて 10 年位経つ.

そして特になにかしたというわけではないのだが,無駄に?認知され始めてきた気はする.自分自身で何かをやったという自負がないので非常に心苦しいことが多いのだが.

# 国際学会に出し続けること

ほぼ同様の趣旨で別の先生から言われたこと.国際学会で constant に演題を出し続けるのはそう簡単にできることではなくて,それを続けていればきっと認知されるようになる.自分としては別に認知されたくてやっているというよりも,出張扱いで堂々と海外旅行に行けるのが楽しくて結果的に毎年ひねり出して参加しているというつもり.

まあまあな引っ込み思案なところもあって,知り合いは一向に増えないが,知っている人はそこそこ増えたし,その領域での勢力図なるものもわかるようにはなってきた.

# 新しく始めること

数年前から新しい領域にも手を出し始めたが,こちらは当然しばらくは花が咲きそうにもない.それはそれでよいのかなと思っていたりする.

正直わかった感じがあまりしないというのはあるし,そのわかった感じを得るにはしばらく時間をかける必要がある.地図でいうと各国の首都はようやく抑えた感じで,周辺の都市や辺境はまだまだ未開拓である.世界にはまだまだだれも知らないところがあって,そのわずかな,小さな一つでも開拓できれば仕事としては上出来なのだろう.

# 新規参入の脅威

Twitter や Facebook を見ていると,病理を始めて数年程度のまだ若い先生がそれなりに立派な意見をつぶやいたりしていて,すごいなと思いそして恐れる.自分が同じ年次のときにはそんな概念知らなかったよ,考えもしなかったよというものも多い.

正直 10 年選手と 5 年選手の違いというのは意外とわずかな差でしかない.いわゆる sigmoid curve の収束値付近の話.だから倍偉いわけでもないし,威張れるわけでもない.実際自分より若い先生に自分の間違いを指摘してもらえることは少なくない.

そういうを見ていて自分の至らなさに愕然とすることもあるけれども,最近はあまり気になくなったというより,気にしないようにしている.

多分そういうもので,差がないようでどこかでそれなりの差があるんだろう.多分ね.

2022年7月7日木曜日

病理関係の出版事情

# ここ 1 年位は出版のペースが鈍い

いわゆる単著系の本の動きが非常に鈍い.おそらくサイクルによるのだろうが,ほとんど動きがない.Pattern Recognition Series や biopsy interpretation series もほとんど出版がなさそう.

医学書マニアとしてはちょっと寂しい気もする.まぁどうってことはないが.

# WHO, AFIP, Diagnostic Pathology は好調

その一方で,上記 3 シリーズは非常に活発に出版がなされている.特に WHO は Ian Cree が来年で定年を迎えるということもあり,それまでに出版をと急いでいる節がある.まあ 1 ユーザーからすると早いに越したことはないが,それにしても出版のペースが早すぎて購入が追いつかない.

去年くらいから少し考えて,WHO と AFIP は個人で所有することに決めた.決めたといっても早速円安で驚異の値段になって相当躊躇しているところであるが.それでも病院で購入するものはケチってもしょうがないので購入はする.

最悪ケチるのなら WHO, AFIP, 規約,鑑別診断シリーズ(通称白い本) だけ揃えればいいのかなと思っている.それでも結構な金額になるが.

# 日本語の本もそんなに活発ではない

あまり認めてもしょうがないかもしれないけど,コロナの影響は確実にあるんだと思う.もちろん日本語での病理の本もちょこちょこ出版されているが,それでも活況かと言われるとどうかなという印象.強いて言うなら細胞診の本が多く出版されている.

細胞診自体を悪く言うつもりはないのだが,最近出版されている細胞診の本は同じような物が多い.しかも細胞診の実務で重要な鑑別診断に重きをおいたというよりも疾患概念の解説と細胞学的所見の説明が多くを占めており,実際に使えるかというと微妙.個人的には細胞診断マニュアルを超える本がなかなかない気がする.

# 一石をとうじ..?

ちょっとここ一週間くらいは夏バテで何もする気が..

2022年7月5日火曜日

同じものを違う方向から

 # 病理学会関東支部会を視聴して

久しぶりに真面目に病理学会関東支部会を見てみる.まぁやることは山ほどあるんだけど,やる気がゼロなのでだらりと講義を聞いているところ.

# DF vs DFSP

今回は dermatofibroma (DF) と dermatofibrosarcoma protuberans (DFSP) の話.これを一時間話を出来るのはさすが..自分だったら 10 分で終わるかな.そんなに話すことは多くはない.皮膚病理の先生らしく,表皮の所見をきちんと大事にして解説をされているのが印象的.多分骨軟部病理の先生とは説明の視点がだいぶ違う気がする.

DFSP は出現パターンは特徴的で,単調な細長い紡錘形細胞が増殖し皮下脂肪組織への浸潤が特徴的.一方 DF は多彩な像を呈するので,あまり先入観や固定観念を持ちすぎずに対峙するのが現実的.そして免疫染色では CD34 を中心として Factor XIIIa 等を併用しながら考える.迷った症例では PDGFB の再構成を FISH で検出する.DFSP は fibrosarcomatous pattern に注意する.これで大半は解決する.どうしてもわからなかったら,完全切除をすれば治療としては完了する.

# わかりやすい講演会?

この演者の講演を何度か聞いたことがある.本だと非常にわかりやすくて大ファンなのだが,講義だとうーん,,,という感想を持ちがち.他の人はどう言う感想をもつだろうか?

多分だがこの演者の講演の場合は重要な情報と重要性の落ちる情報が同じようなテンションで重み付けで講義をされているのが理由なのかなと思っている.本の構成は重み付けがきちんとなされているのと対照的なのが印象的である.

# わかりやすい講演会の要件

多分今までもどこかで話をしたような気がするが,個人的に思う,わかりやすい講演会というのは

わからないものをわからないとはっきり言ってくれること

だと思っている.分かるというのは分からないものを分からないと言い切れることで,そうすることで分かることがハイライトされて理解が整理される.分からないものをあやふやにしていると,結局視界の一部がぼやけた状態で運転をするようなもので危険.ここは見えないと整理していればそこは避けようという戦略も出てくる.

2022年7月2日土曜日

Decision Making

 # いわゆる業務改善のお話

とかく日本人は業務の効率化ということが嫌いのようだ.多分自分とは考え方が違うのだろう.ただ,違うから仕事ができないでは仕事にならないので,とりあえずそれなりの議論と説得をしていくことになる.

とあることで,業務の効率化をしようという話題を出した.だいたい出てくる反論の相場は決まっていて,正確さの担保はどうするのかということ

業務の効率化と正確さの犠牲というのはある程度 trade off の関係にある.許容できる範囲内での正確さの犠牲で業務を最大限に効率に運用することができ,本来であればそれを目指すべきである.でもそれをぶち壊す power word がある.

それって絶対に安全(あるいは間違えない)って言い切れますか?

世の中絶対などはなくて,間違いを想定してその間違いをうまく拾い出すような策を講じる.

# 絶対というものの怖さ

絶対というキーワードは容易に思考停止に陥らせる.絶対に失敗しない,絶対に正しい,こういう発想をしてしまうと身動きが取れなくなり,「絶対には正しくない」現状にとどまってみたり,どこかの状態へ行ってしまう.

全ては 0-100% の間の中で揺れ動くものであり,現状 100% といえば人は死ぬことくらい.ロブスターなんて捕食されない限り死なない?とも言われているので,人が死なない時代がやってこないとも言えない.それくらい 100% を担保するのは難しい.

自分たち(日本人)は 100% あるいは完璧を求めようとしがちで,当然 100% には到達しないので 90% くらいになるのだろうが,そういうのを外側から見ると「完成度が高い」と称される可能性がある.でもそれはコストパフォーマンスでいうととても悪い.

# ISO や CAP の意味するところ

ISO や CAP なんかは 60% 程度の仕事をする人たちをルールで縛ることによって 80-90% 程度を目指そうとしているわけで,何もなくても 100% を目指している人たちからすると,ただの鬱陶しいもの以外の何者でもない(もちろん 60% 程度の人たちにとっても鬱陶しいだろうけど).

だから自分たちに都合の良いルールを作りそのルールに乗っかって仕事をすればよいだけ,あるいはそのルールで出来る範囲内の仕事をすればよいだけとも言えるのだが,それがなかなか難しい.一番の原因は自分がルールを熟知していないということに尽きるのだが.

病理医としてのキャリアパス:中間点

# 次はいずこへ どどたんせんせはいわゆる around 40 で,この職場で留まるべきか次にどこかに行くべきかをそろそろ悩まなくてはいけない感じなっている.ある程度 public なこういうブログで書くべきかは悩ましい感じもするが,ごく普通の人の普通のキャリアパスについての具体...