2021年7月31日土曜日

病理解剖で死因を書くときに考えること〜その 1

病理解剖の結果をまとめるということ


病理解剖をいかに行うかについて,これまでいろいろなところで述べてきた.しかし,病理解剖で得られた情報(マクロ,ミクロ)をいかに統合して病理解剖報告書を練り上げるのか,ということについてはあまり言及してこなかった.

理由は簡単で,とても難しいから.

そう,とても難しい.こうすればよいという解法みたいなものは存在せず,極めて case based の議論をせざるを得ない.そしてそれが正しいという裏付けもない(なぜならば患者は既に亡くなっており確認のしようもない).

何かしら疾病があり,死亡したという事実


幸いにして,病理解剖が対象にする患者は何かしらの疾病を有している.病理解剖が病院で行われているという事実からは,原則的に疾病を有していない患者が病理解剖を行われることはほぼないと言って良い(一方で法医学や公衆衛生による解剖では生前に疾病が確認できないことがありうる).

また病理解剖の際には原則的に事件性(他人が故意に死亡に至る原因を作る)ことはないとみなされるので,死因の推定においてはあくまで性善説に基づいている.つまり,手術をわざとミスしたのでは?とか血管内に変な薬を入れたんじゃないかという考えはよっぽどのことがない限り,しない.

あたかも数学の問題みたいなもので,問題文の中に条件が提示されて,証明すべき課題(死亡した理由を説明せよ)も与えられている.

数学の問題と捉えると,答えは複数あっても良いのか?という疑問が出てくる.まさにその通りで,答えは一つとも限らない.そこが難しいところで,コナン流にいうと真実はいつも一つなはずだが,その真実の解釈は一つではない.

どうやって人は死ぬのかという問題


少しずらしたアプローチをしてみよう.

半分哲学的な話題になりがちなのだが,どうやって人は死ぬのかという根本的な問いに答えることは難しい.多くの人にとって,最後に(あるいは最初に?)心臓が止まって脳に必要な酸素を供給できずに神経細胞が死んでしまう,ということはある程度常識にはなっていると思う.

しかし,ではどの程度心臓が止まれば死ぬのか,どの程度低酸素状態が続けば死因と判定できるのかというガイドライン的なものは自分の知る限りは存在しない(死亡するリスクが〇〇% 上がる,下がるというものは存在するが).

例えば,水中で低体温状態で心停止をしたとしても同時に脳の酸素需要が少なくて済むため常温で心停止した場合と比べ死なない(救命される)率が高くなる.老衰は果たしてどの臓器が具体的に不具合を起こして死亡に至ったのか,ブラックボックスに包まれたままだ.しかし他に原因がなくて,老衰としか言いようがないような例もある.

逆にいつ亡くなってもおかしくないくらいに肺や心臓がボロボロの人でも,(見た目は)元気にしていることもある.昔だったら絶対に亡くなっていただろうと思える人でも,現代医療のおかげで生き延びられている人も少なくない.

いろいろな症例を見ていると,結局何がどの程度になっていれば死亡に至ったと判定できるのかという基準が分からなくなる.

病理解剖で死因を書くときには,この「本当の死因は結局の所よく分からない」,ということを否応なしに認識させられる.その,分からない中で何がどこまで言えるのか,ということをそれっぽく書くことが病理解剖報告書を書くことだと考えている.

病理医としてのキャリアパス:中間点

# 次はいずこへ どどたんせんせはいわゆる around 40 で,この職場で留まるべきか次にどこかに行くべきかをそろそろ悩まなくてはいけない感じなっている.ある程度 public なこういうブログで書くべきかは悩ましい感じもするが,ごく普通の人の普通のキャリアパスについての具体...