# 大体言いたいことは言ったような気がする
約 3 年ちょっとの間でやってきたことのあら方を言い終えたような気がする.他にも色々あったとは思うがだんだん忘れつつあるので,やはり記録は必要かな.
ちなみに免疫染色も最初は ER, PgR, HER2 くらいだったのが今ではだいぶメニューが増えて日本の一般病院クラスの抗体は揃っている.SMA が上皮に染まったのを見たときにはえーって言ってしまったが.
次には締めとしてカンボジアの病理医の育成における自分が感じる問題点を列挙して終わることにする.
# 病理診断の勉強はほぼフリーアクセス
現在,病理診断に関する知識のアプローチは世界中どこにいてもほぼ簡単にできる.誰であってもだ.大きな声では言えないが,sci-hub もあるし,WHO bluebook も copy が出回っているのでそういうのにアクセスすればほぼ無料で最新の知識が手に入る.
そういう時代なので,細かい知識を伝授するような講義はあまり意味をなさない.もっとも知識を得るためには前提知識が必要なので,そういう論文やテキスト等の文献を読むために必要な知識の伝授は必要.
知識面だけでは病理診断を行うには不十分で,経験と統合したものの考え方が必要.特に後者は哲学的要素が入ってくるかもしれない.どのように診断を進めていくか,どのように臨床病理相関をつけるか.
齟齬が生じた時にどこまで診断に言及をすべきか,最終的な患者の利益を考えた時にどういう検索をすべきか.我々がやっている病理診断は単に組織像を記載し組織型を確定するのではなく,臨床病理相関を俯瞰した上で,どのような病理学的情報を提供できるかを考えること.だから病理診断は検査ではなくれっきとした臨床医学であり,診療科の一つとして数えられている.
# 踏ん張りが足りない
自分がカンボジアの先生たちと話をして感じるのはこの臨床病理相関を俯瞰するという考え方が足りない.それ以外は正直言うと組織診断もだいたい合っているし,ぱっと見はよく出来ている.病理診断をより rigid なものにするためには「臨床病理相関を俯瞰して診断をする」という態度が必要で,こういうのは教科書を読んでもなかなか身につかないし,経験ある病理医がマンツーマンで丁寧に指導をする必要がある.
臨床病理相関を俯瞰するのは結構大変.文献を読み込み,カルテを参照したり,臨床医と話をしたり,自分で放射線画像を読み込んだりする必要がある.たかだか一例を診断するためにそんなに時間をかけるの?と思われるかもしれないが,必要なら三時間でも四時間でもかける(その代わりに簡単な症例は秒で終わらせる,メリハリをすごくつけている).
そういう泥臭い作業を自分は踏ん張りと呼んでいる.そういう踏ん張りができるようになったとき,踏ん張りどころがわかった時に一人前と呼び,一流と認識する.そういう踏ん張りが出来るような病理医を一人でも多く育てることが今後の課題と考えている.それはカンボジアに限らず自分の病院でもそうなんだけどね.
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