2021年8月1日日曜日

どどたん's salon 〜 デマと戦う

# 新型コロナウイルス感染症の勢い

Dodotan Sensei (以下 DS):やあえすみ先生,今日も相変わらず美人だね.

Esumi (以下 ES):いつも通りのセクハラ発言ですね.

DS:まぁ好きに言うがいい.さて今日の東京の感染者数は 3000 人を超えているみたいだね(https://news.yahoo.co.jp/pages/article/20200207).

ES:本当に一体どうなるのでしょうか?

DS:どうにもならないよ.できることを粛々とするだけで,強いて言うなら自分が感染しないように,あるいは他の病気も含めてかからないように気をつけるくらいだね.

ES:なんという後ろ向きな...

DS:素人的にはこうするしかないんだよね.沈みゆく船に対して体制を立て直すほどの発言力もアイデアも権力もない.そうすると最低限自分の身は自分で守るということになる.

ES:自分さえ良ければ?

DS:それは違う.余計ないことをして患者を 1 名増やしてもしょうがないでしょということ.啓蒙活動はそれなりに実績や影響力のある人達にやってもらったほうがいい,という持論.

ES:でも世の中にはマスクをしなくてもよいとか,コロナは風邪だと大きな声で主張をしている人たちがいて,そういう声の大きな人たちに間違った方向に誘導される人が可哀想で...

DS:まぁ最終的には本人が選んだ選択肢だから尊重するけどね,ノーマスクだろうが風邪理論だろうが.否定はしないけど賛同もしない.強いて言うなら関わらないでほしいといったところか.

ES:先生は結構ドライですね.

DS:昔からだよ.

# デマの中身

ES:こういった,コロナは風邪やマスクは不要という主張はデマ(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%87%E3%83%9E/)といっていいと思うのですが,どうしてこういう主張を聞いてしまう人たちがいるんでしょうかね.

DS:それは簡単であまり深く考えていないか,あるいは考えるだけのツールを持っていないからだろうね.これは学校教育で何を学んだかによるのだろうけど.

ES:でも高学歴と称される人たちもこのようなデマに乗っているケースも見ます.

DS:確かにな.何らかの利益を感じて意図的に乗っている場合もあるし,信じたくないという感情的な要素が大きいのかもしれないな.

ES:難しいですね.

DS:常に一歩引いて考えてみると,そもそも,あの,何でも隠蔽することがお得意な?中国で隠しきれなかった感染症がただの風邪と考えるには相当な無理がある.陰謀論でもいいんだけど,全てを合理的に説明できるストーリーを思いつくのは難しいんだろうね.そしてデマを主張している人は部分的に正しいことを言っていることも引っかかりやすい理由かもしれない.

ES:部分的に?

DS:そう.コロナにより経済活動が停滞すると経済的な苦境による死者が出るわけで,多くが軽症から中等症で死なない感染症など特別な対策は必要ない,とかね.

ES:前半部分は正しいですね.

DS:そうそう.後半部分は完全に間違っているんだけど,まぁそれが今後数日に起こる日本の状況なんだけどね.前半部分が強調されると後半部分にも正当性があるように見えてしまう.そして更に分が悪いことに,国や政府は経済活動の停滞を防ぐ手立てをそこまで持ち合わせていない.言い換えると,我慢を強いている割にそれに対するご褒美を用意できていない.本当は健康がご褒美になるはずんだけど,水と空気と安全がタダだった日本で健康がご褒美だと納得させにくいよね.そういう behind な状況も含めてデマが広がりやすい素地があるのは否定できない.

# 意外なところにデマが...

ES:そういえば誰か twitter でコロナのワクチンを打ったら長年悩まされた肩の痛みがよくなったってつぶやいていましたね.

DS:まぁそうつぶやくのはいいんだけど,それを持ってして「他のみなさんもぜひワクチンを受けましょう」と言うのは間違っている.科学的ではない.

ES:確かにそうですね.全員の肩の痛みが良くなるわけではないでしょうから.

DS:少なくともワクチンの効能には記載されていないので,はっきり言わなくともワクチンで痛みが良くなるからおすすめと解釈できるような表現は慎むべき.

ES:結構厳しいですね.

DS:まぁしょうがない.関連して,ちょっと前に空気感染か否かで,どこかの画像診断の先生が峰先生と揉めて,画像診断の先生が峰先生にブロックを喰らったようだが,あれは画像診断の先生に落ち度があったと言わざる得ない.

ES:といいますと?

DS:空気感染でも空気感染じゃなくてもどっちでもいいので換気をしてほしいという趣旨の発言.細かいことなんだけどどっちでもいいと認めてしまうのは科学的ではない.

ES:まぁ啓蒙するという点では悪くないように思えるのですが.

DS:だめ.あくまで科学的に啓蒙すべきで,そこを抜かすと結果的に正しいことを言っているかもしれないけど,やっていることはいわゆるデマを叫んでいる人たちと同じことになる.

ES:どういうことですか?

DS:そもそもどの時点であってもわかっていることは部分的なんだよ.全体がわかっているわけではない.だから何を言っても正解の可能性もあるし,不正解の可能性がある.自分は空気感染か飛沫感染かなんてはっきり言ってどっちでもいい.種々のデータからは空気感染なんですよ,と言われたらハイそうですかとなる.でもデマとは一線を画するためには発言に常に根拠を持たないといけない.結果的に間違ってもいい,でもきちんと現時点であるデータから論理的にもっともらしい理論を組み立てて議論をしていく,という過程が大切.それを省略したらもはや妄想と大差ない.

ES:プロセスを重視しているわけですね.

DS:そう.最後まで終わらないと結論の正確性を検証することができないからね.まぁ細かいといえば細かい.

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