# The second visit this year
そろそろカンボジアに定期的に訪問するようになってきている.今回の目的は切り出し周りの整備を中心に他の用事が少々.後になってわかったことだが,なるべく大きな声で色々なところに声をかけた方が良かったかもしれない.
切り出し台の無影灯をいかにして再現するかが問題であったが,その答えの一つとして,フィギュア用の撮影ボックスという答えを考えてみた.実際に使ってみると意外とよいが,大きな検体はやはり難しい.違う方法を考えてみねば.
と思っていたところ,デスクライトをつなげると無影灯として機能するという話を聞いた.これは是非実践してみたいところ.
# My problems are not always their problems
なぜ行って実際に行動しないと改善しないか.そんなの行かなくても遠隔で指示すれば行けるじゃないかと思うかもしれないが,実際はかなり厳しい.色々原因はあると思うんだけど,一番の原因は
捉えている問題が自分と相手は根本的に異なっている
どうしても目の前にある問題に対して取り組みがちで,人によって立場によって,同じ風景を見ていたとしても問題は異なって見えてしまう.
自分としては切り出し図のシェーマなしで標本を見ることは暗闇の中でライトなしに車を運転するかのごとくで,正気の沙汰でないと思っている.しかし,別に障害物などないし,まっすぐ進めば目的地にたどり着くと考えると,ライトは別になくても困らないのだろう.
別の例を挙げるなら,中心静脈カテーテルを挿入するときにエコーを必要とするか否かで,昔やっていたときはエコーを使うなど邪道という考えであったが,今ではエコーを使わない方が邪道になっている.
時代や場所が変わると常識も変わる.現在からランクアップするためには変わらないいけないが,その必要性はしばしば変わってから認識することになる.先見の明がある人は変わる前から必要性を認識できるらしいが.
# Hierarchical relationship
この手の支援で大事にしていること.可能な限り同じ目線で話をすることと,こうしたらいいと思ったことは丁寧に理由を含めて説明をすること.どうしても自分たちが上で支援される側が下という構図になりやすい.というかそういう構図になってしまうのだが.
実際問題として,レジデントの中で極めて優秀な人が何人かいる.知識も非常に豊富で考え方がスマート.そういう人に対しては教えるというよりも進捗を確認しつつ,成長を邪魔しないという態度のほうが良い気がしている.
# How to improve it
前項でも述べたように自分たちが認識している問題点を必ずしも彼らが問題として認識しているわけではない.マクロ所見を記載しないことについては,どうせ自分が見るしという事情があるような感じがする.他の人が見たときにどうやってこの切片が断端だと認識することが可能だろうか?とか半年後にこの切片がどこに相当するかどうやって記憶しているのか?と何度も何度も何度も形を変えて問いただしているのだが,一向に変わらない.
子供を叱るわけではないが,論理的な説得が無効の場合はしょうがないので感情にある程度任せるしかない(怒るとエネルギーを消費するのであまり怒りたくはないのだが).キレるときはケースベースドにならざるを得ない.マクロ写真を消去したことが発覚したときにはことの重大さを理解してもらうために敢えてキレてみた.次は切り出しのシェーマを作製していなくてどこを切ったか分からなくなるときかしら.
しかし,なんで切り出しのシェーマを書かないんだろう(他の病院でもほとんど書いていないことは理解している).
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