2022年6月17日金曜日

コロナ禍での病理医としての働き方

書きながらちょっと話が途中から脱線しているが,それはそれでよいことにする.

 # 結局コロナはあまり働き方を変えてはくれなかった

もちろん現状ではまだ新型コロナウイルス感染症が収束したとは言い難いが,まぁある程度収束しているとみなしてもよいだろう,良くも悪くも new normal と言われている新しい生活様式が始まろうとしている.どちらかというと near normal が近いかな.総括ではないが.

病理医としての働き方をする上で,コロナは大きく変えてくれることを期待していた.在宅が中心で,職場に行くのは切り出しだけ,あとは WSI でスキャンされた画像が送られてきて自宅で診断を入力する.定期的に zoom や Teams で会議をしながら,youtube を見る.お気に入りの音楽をかけながらゆったりと仕事をする.

少なくとも自分のところではそれは実現しなかったし,他のところもほぼ通常営業をしている.病理はその仕事の有り様を大きく変えられるチャンスでもあったのだが.自分が長であれば間違いなくやっていただろうが,そこはしょうがない.

# やはり face to face での仕事は大切なのかもしれない

今日はレジデントの先生の診断を一緒に multiheaded microscope で議論をしながら診断のサインアウト(正確にはさらに上に上級医がサインアウトをする)をしていた.単に診断をチェックするだけならば,特に顔を合わせる必要はないが,一つの症例から学べることは多く,そういうときに脱線を踏まえながら見ていくほうが結果的に学習の効率という点では遥かによい.

例えば,大動脈粥状硬化症による動脈瘤を見たときに,典型的な粥状硬化がどのようにして形成されるのか,という病理総論の知識を踏まえつつ,さらに進行すると中膜の弾性動脈が断裂して血管壁が不明瞭になり瘤状に拡張することや解離を起こすこと,ときに炎症性大動脈瘤という炎症細胞浸潤が目立つような形態をとることを話す.解離は中膜外 1/3 に起きやすく,そして炎症性大動脈瘤の場合,形質細胞浸潤が目立っていれば IgG4 関連疾患や現在ではほぼ見ないが梅毒 4 期も鑑別に挙がること.そして梅毒では vasa vasorum が侵されることなどを話す.

最近では一つの症例や疾患に対して,診断ができるだけではなく,様々に語れることが大切なのかなと考えていて,例えば一つの大動脈粥状硬化症をとっても丁寧に説明している.こういう細かいことをきちんと聞いてもらえるように話をすることは face to face 以外では難しいような気がしている.つい先日米国から来日した病理医の先生の講演で質問をしても結局 face to face に戻ったという旨の話であった.

# Case based approach

自分は比較的初期から?学習をする際には症例ベースで学んだほうが結果的には効率がよいと信じていて,今でも実践している.結果的に診断がかなりゆっくりになっているが.

レジデントの先生と標本を見るときにも,当該症例をベースにして常に揺さぶりをかける.もし「AE1/AE3 陰性だったら先生は何を考える?」「臨床情報がなかったらどうやって鑑別診断を組み立てる?」「もし生検 3 個中に 1 個だけあった癌のある切片がないと仮定したら,どうコメントする?良性とだけ返す?」そうやって一本道しかないようにみえる簡単な症例の難易度を上げていって常に考えながら診断をするように促す.

ある意味ゲームみたいなお遊びだが,それをするはある程度熟練してかつ専門医を取得する前までの先生のみ.トレーニングのはじめの先生はまだそういう揺さぶりを耐えるほどの実力はないし,専門医を取得した先生に対しては(よっぽど間違っていなければ)自分は原則指導をしない.それだけ専門医というものは価値があると思っているし,その先生の主体性を尊重すべきだと思っているから.

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