2024年5月15日水曜日

カンボジアの病理診断(終わりの始まり編 2)

 # 続きの話

カンボジアに到着した翌日に,懇意にしていただいている,とある日系の病院に見学をさせてもらって色々とお話をしたところ,前回ブログに書いたようなことはだいたいあっていたみたい.でもこれを改善するのはなかなか難しい,というか個人で改善するとかそういうレベルではない.

# マクロ図の作成

分かる人には分かってもらえるカンボジア病理あるあるの一つに,写真撮影あまりしない・マクロの切り出し図を作らないというのがある.すべての病院・検査センターで確認した訳では無いが,これは面倒を見ていた検査センターだけではなく多分カンボジアの病理一般に言えるのではないか?という気がする.彼ら,彼女らが研修に行った国は恐らくどこでもマクロ写真に線を入れて切り出しをしていたはずのように思う.写真だけ撮って(あるいは写真すら撮らずに)組織像だけで判断するのはとても危険なことであると,何度言ったことか.

なぜ彼らがマクロ図の作成をこれほどまでに拒むのかよくわかない.一つ言えるのはきちんとしたシステムを作らない限り結構面倒な作業で,さらにはぱっと目に見える結果に対するインパクトが弱い.切り出し図がなくてもある程度は憶測で診断できてしまう.しかも切り出しをした本人であれば,切り出し直後はある程度覚えているはずだろうから何ら問題はない.でも数ヶ月後,半年後に覚えていますか?と言いたくなる(実際何度も言った).

# この環境下で自分にできることとは

もっと厳密に言うと,そもそも自分がする必要があることなのか,というかなり根本的な疑問に突き当たる.個人でできることなんてたかが知れているし,全体に対するインパクトを残すことは難しい.本来はチームあるいはもっと大きな規模で取り組んでようやく結果が出せるか否か,ということになる.まぁせっかく関わりだしたんだし,というすごくゆるいモチベーションであることは認める.

前回の投稿でカンボジアには病理診断は不要,ということを言ったが,それは病理診断の前に解決巣べきことが山積みでそれらを無視あるいは軽視して病理診断の向上を図っても,インパクトが弱いあるいは空回りをするだけのように見えるからである.これで飯を食っている側からすると,必要に決まっているでしょ!とすごく言いたいのだが,彼らの目前のニーズを満たした上でさらに,という話になる.アウトリーチもぱっと病理診断の話をするのではなく,数段階に掘り下げた形で行わないと多分意味がない.自分にできることはとりあえずはなさそう,という否定的な印象.

# 最高水準の病院を作り上げること

今回,見て回った中で,カルメット病院は他の病院と違ってかなり近代的な建物ですごく良さそうに見えた(多分中身も充実しているものと期待したい).他の病院は,,,,悪くはないのだが少し厳しい印象.

日系の某先生曰く(かつ自分の見聞きした経験からも)クメール・ルージュ前後を生き抜いた人たちのカンボジアの医療に対する不信感は非常に根強い.実際自分が 5 年前にタイ経由で訪れた時に隣りに座っていたカンボジア人の老婦人と少し話をしたのだが,彼女は高血圧と糖尿病の経過観察のために定期的にタイに行っていると,しかも飛行機で.自分からしたらそんなのどこで経過を見ても変わらないでしょと思ったのだが,その後色々経験する中でカンボジアの医療は信用されていないことがわかった.病理診断も同じくで保健省の某幹部は「カンボジア国内での病理診断の信頼性が低いため,検体が海外に流出することを黙認せざるを得ない」と言っていたとか.確かに 2019 年時点は質が高いとは言い難かった.でも 2024 年の今は違う!昔と違う!確実に良くなって来ていてかなり高い水準にある!と声を上げて言いたいのだが,多分誰も聞いてくれない.

何でもそうだけど,質を評価するには評価する側にもある程度の素養が求められる.素養がない中での高評価はただの盲信である.日本製だからいいに違いないとかね.そして,もう一つ,日本の質と同等だと認めてもらうためには,日本の質を超える必要がある.同等では決して認めてもらえなくて,日本の質を超える非常に高い品質を打ち出せて初めてその価値を認められる.それまではただの劣化コピーという認識でしかない.

タイやベトナムに流出してしまう人たちをもとに戻すためには,一つでもいいからカンボジア国内で世界と同等の最高水準の病院を作って,そこをフラグシップモデルとして確立し,いわゆる富裕層の人たちが「カンボジア国内でここの病院で治療を受けて駄目なら諦められる」と思えるような状況を作り出すこと.もちろん貧しい人たちは受診できないかもしれない.でもそうやって最高水準の病院が要となって医療水準全体の引き上げに貢献する.その際に病理診断のパートとして,自分はその最高水準を提供するための少なくとも人的リソースとして提供する準備はできているのだが,恐らく声をかかることはなさそうだろうな.自分は好き勝手にやりたがるから.

そして最高水準の病院であるためには,カンボジア国内から何かしら世界に対して something new を出す必要がある.先ほども言ったが,悲しい現実として,同等はただの劣化コピーとみなされる.競合を超えるあるいは違う新しい価値を提供したときに初めて同等以上の存在としてみなされる.同等というのはお互いが切磋琢磨して拮抗している状況で初めて認識されるもので,「追いついた」状態ではない.

# Think globally, act locally

非常に有名な話で,確か地球環境問題が origin だったような記憶だが,結局何でもそうと言える.仮に検査センターのラインが潰れたとしても,他のラインはないのか,どこかに解決の糸口が見つかるのでは?個人でやっている以上はある意味完全に自由なわけで,それを常に考えているところ.

論理的に考えて見つからない解決方法も時間が経てば向こうからやってくる可能性もある.来たるべきチャンスを確実に逃さないために,情報収集と準備は常に怠らないこと.とりあえずは表面的に終わりになりそうだが,いわゆる commencement で終わりの先には新しい何かが始まるはず,である.

# ついでに

自分はカンボジアで自分のことを話をするにあたって,日本の病理医(日本での病理専門医,細胞診専門医,分子病理専門医)であることを比較的強調をしている.それはカンボジア人に対してもだし,カンボジアで働いている日本人に対してもである.特にカンボジアで働いている日本の臨床医に対しては,某有名病院でも勤務していることをちらつかせながら(安い給料で働いている分を取り戻すために?),こんなすごいところで働いている自分はとても優秀な病理医なんですよ!ということを暗に示し泊をつけている.

はっきり言って,同業者に対してこんなことをしてもただのナンセンスなのだが,カンボジア人や日本の臨床医には自分の実力がどうかなんてはっきり言ってわからないわけで,結局盲信的ではあるが,専門医だったり日本で仕事しているといった周辺的な情報で判断せざるを得ない.こういう売り方はあまり好きではないのだが,目的を達成するためには多少の味付けも許容されよう.そして多分しばらく一緒に仕事をしてもらえると,ちゃんと中身を伴っているのだということが次第に理解される.

某有名病院での勤務とか分子病理専門医とかマジでいらねーと思っていたが,今になって体外的な泊をつけるためには確かに必要なのかなとも思ってきた.だからといって維持したいかと言われると微妙だけどね.

2024年5月13日月曜日

カンボジアの病理診断(終わりの始まり編)

 # 終わりなんてものはそもそもないが,,,

ひょんなことから自分のカンボジア病理診断の個人的な支援が終わり近付こうとしている.これが本当に終わりになるかどうかは自分にも(誰にもわからないし)もしかしたら新しい形で違う取り組みが始まるかもしれない.いずれにせよ,これまでのような支援の形は一度終わりにするということ.

今回はわずか滞在2日間という強行スケジュールで来てみて,最初から最後まで自力で旅行を終えようという試み.もしさらに言いたいことがあれば違う記事で追加するかも.

はじめに言っておくけど,今回は病理診断に関する話題はほとんど出ません.

# 羽田空港から北京空港,プノンペン空港まで

今回は中国国際航空を trip.com でチケットを発券.決して評判がすごくいい組み合わせではないのだが,チケットが非常に安くてこれならいいかなと思ってポチってしまった.チェックインが 36 時間前ということで羽田→北京行きは簡単にチェックインできただが,北京→プノンペン行きはチェックインできなかった.普通乗り継ぎ便の場合は一緒にできることが多いが,中国国際航空はチェックイン時刻がそれぞれ違うらしい.

結局,羽田→北京だけしたのだが,そのあと時間が来て北京→プノンペンのチェックインをしようとしてもエラーが出て全然進めなかった.10 回くらい時間をおいて試したがだめで結局諦めて空港でチェックインすることにした.

というわけで,チェックインのためにかなり早めに空港についたのだが,案の定チェックインカウンターは空いておらず,機械でもできない仕様のよう.こればかりはしょうがないので,時間を潰して待ってチェックイン.それからぶらぶら散歩やアイスを食べながら待って制限エリア内へ.

機内は普通で可もなく不可もなく.ただ,羽田→北京便なのに日本語が全く通じないのはちょっと不満.しかも自分の見た目が中国人と大差ないせいか中国語で聞いてこられるけど,当然返答できないため??となる.まあ聞かれることなんてビーフかポークかチキンかフィッシュかと飲み物くらいだからなんとかなるんだけどね.

うとうとして本を読んでいたら,北京へ到着.北京首都空港は広いけど,閑散としている.最近あたらしい空港に大半の飛行機が移ったみたいで?人通りも少ないし,お店もちょこちょこ閉まっている.大丈夫か?とちょっと思ってしまうけど,まぁ心配するほどのことでもないでしょう.トランジットまで暇だからベンチで寝転がっていると,なんか中国語で何やらアナウンスがあって,よく聞き取れないけど E58 という自分の搭乗ゲートの番号だった.しかも二回アナウンスされているので,いやーまだ搭乗時刻の 20 分前なはずなんだけどなぁと思い行くと普通に搭乗が終わろうとしていたわ.乗り遅れて北京で一晩過ごすのもどうしようもないので,とりあえずよかった.

# プノンペン空港からホテルへ

プノンペン行きの機内は特に大きな問題はなく,比較的空いていた.着陸してから以前ダウンロードしてアクティベートしていた grab を試しに使ってみようと配車ボタンを押したら本当に配車されてしまった.まだ機内にいるのに,あと 5 分で到着とか無理ゲーでしょと.

慌てて待ってもらうかキャンセルするかできるかと聞いたが返事がなく,うーんどうしようと思っていた.ビザは以前取得した 3 年マルチプルがまだ有効で,入国や税関の申告書はすでに書き終えているので,プノンペン空港の小ささからすると入国審査も含めて全力で走ればなんとか行けなくもない距離.しかもなぜか荷物が最優先で降ろされており(あるいはもしかしたら自分は後ろの方だったか?),荷物のピックアップもスムーズで,結局 5 - 6 分程度で grab の meeting point に到着することができた.

とはいえ,ドライバーのお兄さんは自分を探すために出歩いたり,クソ重たい荷物を持ってくれたりもしたので,最後に少しチップを弾んでおいた.ホテルについたのは結局飛行機から降りて 30 分程度という,無駄に爆速で,シャワーを浴びて速攻寝た.

# プノンペン市内を散歩

機内でまあまあ寝ていたのでそんなに眠くもなく,プノンペン市内を散歩しながらどうしようかなと考えていた.今までは送迎から食事の手配まですべてやってもらっていたので,全然気づかなかったが,いざ自分で歩いてみるといろいろなことがわかった.残念なこともわかった.

  • 誰も歩かない:基本車かバイクでの移動が前提になっていて歩道があまり整備されていないし,横断歩道も飾りだけ.歩いて移動している人は自分以外に一人しか見つけられなかった.そして車も交通ルールを遵守するという感覚が乏しく,隙あらば赤でも突っ込め!みたいなのが多い
  • 薬局が異様に多い:クリニックはそこそこあるが,それ以上に薬局が非常に多い.恐らくカンボジアの人たちは具合が悪くなると病院に行くのではなくまず薬局に行くのだろう.それでもだめなら病院に行くという感じなのだろう
  • 生活水準のアンバランスさ:薬局の人が朝に洗濯板で洗濯物を洗っていた.多分そこの薬局で売っている薬を買えるような水準であれば洗濯機を余裕で購入できるはずである.スマホもそうだけどあるものは最先端で高価,あるものは廉価あるいは古い物を使うなど,生活水準のバランスの悪さが目立つ
  • 目立つもの好き:これは今朝見て気づいたというよりも以前からだが,家や車,あとコスメなど表面的なものを好む傾向がある.レクサスの販売代理店?のようなものを 2 件見つけた
この事実から推測できることとして,今後高齢者が増える状況の中で,心血管イベントが確実に増える.現在は食事もそこまで栄養価の高いものがあるわけではないので,ぱっと見の肥満者は多くはないが,今後は経済成長とともに摂取カロリーも確実に増えるし,このような生活習慣をしていると確実に心血管イベントが増える(そうでなくても高齢化という点で増えるけど).あとは高齢化の中で担癌患者も確実に増えるだろう.その時に薬局の存在が早期癌の発見を遅らせる大きな要因となる.

そもそも薬局が多いのは昔の人口は若く,多くは急性期の疾患で安静にしていれば治るものが多かったということなのだろう.対症療法や感染症治療薬くらいであれば(本当は「くらい」では決してないのだが),薬局でなんとかなっていたのだろう.でも人口構成,社会的な要因の変化及び市民の要求水準が高まるに従い,なんとかならなくなる時期が来そうだ.そう遠くない未来に.

病院という存在は一般市民からするとなるべくお世話になりたくない,生活の中心からすると端っこの位置している.もちろん,病気になればその端っこが一気に中心にやってくるのだが.病理診断も同じで,普段は病院業務の中で端っこに位置しているがいざとなれば主役になる.

今自分がやっていることは端っこの端っこ(一体どこ?笑)の仕事であって,カンボジア国内では正直自分が活動をして大きく貢献できるかと言われると厳しい.他の優先度を考慮すると現在のカンボジア国内には病理診断は別になくてもいいんじゃないか?という極論すら実は完全に否定することは難しい.

今後どのように関わっていくかは難しいが,チャンスがあれば病理診断以外の別の専門領域を持って対峙するなどが必要かもしれない(あくまで現時点での考えだが).

対立する所見が見られたときの病理診断の進め方

# Introduction 一般的には,病理診断においては A, B, C, D, ... という所見があって X と診断するというように所見を集めて,通常は一つの診断を目指していく.多くの症例では X に至る A, B, C といった所見は同じ方向を向いており,大抵はストレー...